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和歌祭礼行列図屛風
わかさいれいぎょうれつずびょうぶ
Object Information
Period
江戸
Material and Technique
紙本著色
Museum/
Collection Repository
Wakayama Prefectural Museum
Notes
紀州東照宮(和歌山市) の祭礼(和歌祭) で行われる、東照宮から御旅所に向かう渡御行列を描き、その舞台となった和歌浦の景観が添えられた屛風である。現状は6 曲1隻であるが、構図から6 曲1双の左隻とみられる。
徳川家康の十男である徳川頼宣(1602 ~ 71) は、元和5 年(1619) に紀伊藩主として入国し、元和7 年に和歌浦に東照宮を建立し、翌8 年から和歌祭が始まった。和歌祭の渡御行列の構成は、大きく3 つの時期に分かれる。①寛文5年(1665) の家康50 回忌まで。頼宣が好む風流な練り物が城下の町から多数出された。ⓐ東照宮縁起絵巻(紀州東照宮蔵、尊純法親王・住吉広通筆、正保3 年〈1646〉、和歌山県指定文化財、『和歌祭』11)、ⓑ和歌御祭礼図屛風( 海善寺蔵、寛文5 年〈1665〉、和歌山市指定文化財、『和歌祭』12)、ⓒ紀州和歌御祭礼絵巻(個人蔵、17 ~ 18 世紀、現状では巻頭は欠落、『和歌祭』18) がある。
このうち、ⓐ ・ⓑは和歌浦の景観も描かれている。②寛文6 年以降、城下の町から出す練り物が縮小され、寛政12 年(1800) に復興された餅搗踊が行列に加わるまで。この時期の和歌祭を描いた屛風は確認できない。ただし、絵巻は確認できる( ⓓ和歌祭行列之図、個人蔵、巻子、『和歌祭』20 など)。ⓐ ・ⓑ ・ⓒは赤母衣のみに対して、ⓓは赤母衣に加え、白母衣(大母衣) も描かれる。③寛政12 年行列に餅搗踊が加わる。この時期の和歌祭を描いた屛風は、昭和4 年(1929) に坂井芳泉が懐古的に描いたⓔ和歌祭図屛風( 当館蔵、『和歌祭』9) を除いて確認できない。ただし、絵巻は確認できる。
本屛風について、まず渡御行列に注目する。練り物として描かれているのは、雑賀踊、唐船、鶴の笠鉾、猿引、面掛、鎧着で、寛文6年以降の行列構成であることがわかる。本屛風に近い行列構成の絵巻としては、18 世紀後半に描かれたとみられるⓓ和歌祭行列之図がある(但し、巻頭にある「根来者」の姿は本屛風には描かれていない)。一方、元文4 年(1739) 名高村の専念寺住職全長(1679 ~ 1747) が書いた「和歌浦物語」に収録された「毎年四月十七日御祭礼行列渡物の次第」( 文字情報のみ) が本屛風の行列構成に近い(「根来者」の記載がない)。こうした点から、本屛風の渡御行列は18 世紀ごろに描かれた元絵( 例えば「和歌祭行列之図」) があって、それをもとに描かれたのではないかと考えられる。
次に、行列周辺の景観に注目する。片男波の砂州に設けられた御旅所への道の両岸には、竹矢来が設けられ、家紋付きの幕が張られ、桟敷のうえで群衆が行列を見物している。その先は竹矢来で区切られ、建物内で藩主や重臣が列座して行列を上覧している。さらにその先に御旅所(御旅所は、幕末期に移転する) が描かれ、先頭の渡り物を担った人たちは休息をとっている。18 世紀になると実景に基づいた和歌浦図が、地元和歌山周辺の画家たちによって描かれるようになる。和歌浦図巻(個人蔵、桑山玉洲筆、天明2 年〈1782〉、『野呂介石』14)はその代表的な作品として挙げられている。名草山上空から俯瞰した和歌浦の景観を描き、「東照宮」・「東照宮祭礼地( 御旅所)」) が示されている。本屛風に描かれた景観は、こうした和歌浦図を参考にイメージ的に描かれたのではないだろうか。行列の途中( 雑賀踊・唐船) 辺りから、進行方向の左側に描かれた家並みが市町の集落とすれば、行列と家並みの間にあるはずの入江が省略されたことになる。一方、各所に松が配置されている。御旅所付近の砂州は「白砂青松」の地として知られており、それを意識したものであろう。本屛風の作者は不明であるが、町絵師によって制作されたものではないかと考えられる。
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Collection Repository
徳川家康の十男である徳川頼宣(1602 ~ 71) は、元和5 年(1619) に紀伊藩主として入国し、元和7 年に和歌浦に東照宮を建立し、翌8 年から和歌祭が始まった。和歌祭の渡御行列の構成は、大きく3 つの時期に分かれる。①寛文5年(1665) の家康50 回忌まで。頼宣が好む風流な練り物が城下の町から多数出された。ⓐ東照宮縁起絵巻(紀州東照宮蔵、尊純法親王・住吉広通筆、正保3 年〈1646〉、和歌山県指定文化財、『和歌祭』11)、ⓑ和歌御祭礼図屛風( 海善寺蔵、寛文5 年〈1665〉、和歌山市指定文化財、『和歌祭』12)、ⓒ紀州和歌御祭礼絵巻(個人蔵、17 ~ 18 世紀、現状では巻頭は欠落、『和歌祭』18) がある。
このうち、ⓐ ・ⓑは和歌浦の景観も描かれている。②寛文6 年以降、城下の町から出す練り物が縮小され、寛政12 年(1800) に復興された餅搗踊が行列に加わるまで。この時期の和歌祭を描いた屛風は確認できない。ただし、絵巻は確認できる( ⓓ和歌祭行列之図、個人蔵、巻子、『和歌祭』20 など)。ⓐ ・ⓑ ・ⓒは赤母衣のみに対して、ⓓは赤母衣に加え、白母衣(大母衣) も描かれる。③寛政12 年行列に餅搗踊が加わる。この時期の和歌祭を描いた屛風は、昭和4 年(1929) に坂井芳泉が懐古的に描いたⓔ和歌祭図屛風( 当館蔵、『和歌祭』9) を除いて確認できない。ただし、絵巻は確認できる。
本屛風について、まず渡御行列に注目する。練り物として描かれているのは、雑賀踊、唐船、鶴の笠鉾、猿引、面掛、鎧着で、寛文6年以降の行列構成であることがわかる。本屛風に近い行列構成の絵巻としては、18 世紀後半に描かれたとみられるⓓ和歌祭行列之図がある(但し、巻頭にある「根来者」の姿は本屛風には描かれていない)。一方、元文4 年(1739) 名高村の専念寺住職全長(1679 ~ 1747) が書いた「和歌浦物語」に収録された「毎年四月十七日御祭礼行列渡物の次第」( 文字情報のみ) が本屛風の行列構成に近い(「根来者」の記載がない)。こうした点から、本屛風の渡御行列は18 世紀ごろに描かれた元絵( 例えば「和歌祭行列之図」) があって、それをもとに描かれたのではないかと考えられる。
次に、行列周辺の景観に注目する。片男波の砂州に設けられた御旅所への道の両岸には、竹矢来が設けられ、家紋付きの幕が張られ、桟敷のうえで群衆が行列を見物している。その先は竹矢来で区切られ、建物内で藩主や重臣が列座して行列を上覧している。さらにその先に御旅所(御旅所は、幕末期に移転する) が描かれ、先頭の渡り物を担った人たちは休息をとっている。18 世紀になると実景に基づいた和歌浦図が、地元和歌山周辺の画家たちによって描かれるようになる。和歌浦図巻(個人蔵、桑山玉洲筆、天明2 年〈1782〉、『野呂介石』14)はその代表的な作品として挙げられている。名草山上空から俯瞰した和歌浦の景観を描き、「東照宮」・「東照宮祭礼地( 御旅所)」) が示されている。本屛風に描かれた景観は、こうした和歌浦図を参考にイメージ的に描かれたのではないだろうか。行列の途中( 雑賀踊・唐船) 辺りから、進行方向の左側に描かれた家並みが市町の集落とすれば、行列と家並みの間にあるはずの入江が省略されたことになる。一方、各所に松が配置されている。御旅所付近の砂州は「白砂青松」の地として知られており、それを意識したものであろう。本屛風の作者は不明であるが、町絵師によって制作されたものではないかと考えられる。